◆ #05 Kudus,Jepara KRISMONのジャワを行く(私の好きなインドネシア) |
3月8日(月)
◆クドゥスとジェパラ
だいたいの位置関係です。
距離:Semarang - Demak 約26km
Demak - Kudus約25km
Kudus - Jepara 約33km
◆朝7時に出発
ホテルの朝食は7時からなので、今日は朝飯抜き(^^;。ホテルで手配してもらった車(ISUZU Panther :運転手付き)で出発。料金はRp.15,000/Hr. で7時間契約。以後一時間追加毎にRp.15,000 を加算。
上記の通り大した距離ではないので移動は楽勝かと思いきや、意外と時間を食いました。とにかく道路の状態が悪い。雨季の冠水が主な原因だと思うのですが、舗装が傷む、剥がれるといった個所が多く、そういった場所では徐行の為、車の列が出来てしまう。特にスマラン市内から郊外へ抜ける道路の状況がひどかった。
スマラン・タワン駅前の道路:先日の洪水のためか破損 がひどい。
大半が破壊され走行不可能となっていた。
それから、この2つの街へのドライブですが、ジェパラに近づくにつれ、緑色の旗(PKBとPPP)が目立つようになってました。
・PKB:ナフダトゥール・ウラマのグス・ドゥールが率いる党。
・PPP:開発統一党。スハルト体制下から存在しているムスリム系政党。
スマランの街の中は、赤(闘争民主党:メガワティの党)一色だったのですが、対称的です。もちろん、ジェパラにも赤い旗はありましたが、緑色がはるかに優勢でした。
この日運転してくれたドライバーは、グス・ドゥールの支持者らしく、道中 グス・ドゥールの絵を掲げた垂れ幕をみると;
「グス・ドゥール、バグース」
「日本では、グス・ドゥールは有名か?」
と話し掛けてきます。
「日本だと、メガワティさんやアミン・ライス氏の方が有名だよ」と私が答えると、少々残念そうな顔をしていましたが...
ここいらへんで「日本でもグス・ドゥールが一番有名で、人気がある」(^^;と、リップサービス出来ない自分です(^_^;)。
スマランからクドゥスへ向かう道路(スマラン近郊) スマランの近くは片側2車線の道路が続く
◆クドゥスのMinaret Mosque
9時過ぎにクドゥスへ到着。今回お目当てのこのモスクは、ジャワ・ヒンドゥ様式の塔がモスクの真ん前に残っているという奇妙な景観で有名なもの。そのせいか名前も "Mesjid Menara(=Minaret
Mosque: 塔のモスク)"となっている。(入口もジャワの割れ門になってます。)
さて、この塔ですが、近づいてみると石ではなくて煉瓦で造られているような感じ。そして陶器のお皿が装飾として回りにはめ込まれています。お皿の模様をハッキリ見るところまで近づけなかったので、中国の物かヨーロッパの物か分かりませんでしたが、昔から交易で栄えていたというこの地のムスリム王朝の権勢を彷彿とさせてくれました。
それから、このモスクは巡礼者/観光客が多く訪れるようで、近くの駐車場には朝9時というのに観光バスが既に停まっておりました。また巡礼者/観光客目当ての物乞いも多かった。(コインはすべて使いきってしまった(^^;)
モスクに関する資料が欲しかったので、モスク近くの本屋(というか雑貨屋という雰囲気)で、冊子を3つ購入。(全てインドネシア語。読み切るには暫く時間が掛かりそうである...)
★このモスクの写真をフォト・ギャラリーのページに掲載しています。
[フォト・ギャラリー]-[クドゥスの塔のモスク]
◆ジェパラのカルティニ博物館(入場料Rp.500)
交差点のカルティニ像(ジェパラ)
Raden Adjeng Kartini(*1)は昔1万ルピア(だったか?)紙幣に印刷されてました。どんな女性なのかずっと興味があったのですが、ジェパラ出身であり、博物館もあるというのでクドゥスからさらに足を伸ばしてみました。
平日の午前中ということもあってか、来館者は私だけ(^^;。
体育館くらいの大きさの建物の中にカルティニと家族/関係者の写真・肖像画を中心にディスプレー。私としては、カルティニに関する書籍/彼女の有名な手紙を纏めたものが欲しかったのですが、残念ながらなし。(ジャカルタの本屋でも探したのですが、入手できず。) 少々欲求不満(^^;の状態で博物館を後にしてます。
★カルティニ博物館の写真をフォト・ギャラリーのページに掲載しています。
[フォト・ギャラリー]-[カルティニ博物館(1)]
◆帰路
ジェパラはWood carving (木彫り、特に家具) で有名な町。街道沿いにはお店が多く並びます。(*) そんな中に、ドリアン市場を発見! 運転手氏にネゴをお願いし乗り込んだものの、Rp.30,000/個の値段に驚き、退散しました(^_^メ)。これって外国人向け値段でしょうね。運転手氏は「高い!」と憤慨していました。
途中、クドゥスのMatahari Depart で簡単に昼食。久しぶりに、California Fried Chicken でした。
*家具の輸出落ち込む
旅行記とは直接関係しませんけど、16日のコンパスオンラインに米国向けの家具輸出がこの3ヶ月間で大幅に落ち込んだというニュースが出ていました。
▼▼▼ 現在リンク切れ ▼▼▼
http://www.kompas.com/kompas-cetak/9903/16/DAERAH/daer09.htm
▲▲▲ 現在リンク切れ ▲▲▲
◆スマラン市内を散策/買い物
2時半頃スマランへ戻ってきましたが、車の時間延長をお願いし、買い物/市内散策。特にバティック専門店Danar Hadi(Jl.Gajahmada 186)で、ジャカルタのマネーチェンジャでRejectされたシミ付き100ドル札をAcceptしてもらったので、ほぼ全額使い切ってしまった。購入したバティック製品は随分な量に達してしまい、US$100の購買力の凄さをあらためて実感(^^;。
◆バンドゥン暴動の報に驚く。
5時頃、もうお腹が減ってきてしまったので、中華料理店マキシムズへ行く。(ここはスマランへ来ると必ず寄るお店。)
MAXIM'S
Jl. MH. Thamrin 81
Tel. 024 319981
店主殿 (華人のオジサン) は私を覚えてくれていたようで、料理が出てくるまでの間テーブルで話し込む。
店主「次ぎはどこへ行くの?」
私 「ジャカルタへ戻ってからバンドゥンだけど...」
店主「え、昨日(7日:日曜日)暴動があって教会が焼けたよ。」
私 「なに~~~~~(@_@)」
食後、早速Wartelへ行き、会う予定にしているバンドゥンのMさんへ電話を入れる。『暴動があったのは町の中心からは外れており、今日は平静を取り戻している』とのことで、一安心だが、継続的に連絡を取ることにした。
【注】[本文へ戻る]
*1:Raden Adjeng Kartini (19c終~20c初)
ジェパラのBupati(県知事に相当)の娘として生まれる。
オランダ人の友人と交わした書簡集(オランダ語)が有名。
今年(99年)の大学入試センター試験「世界史A」に書簡が引用されていたのをご存知の方も少なくないのでは。
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