以前、他のブログに掲載していた記事の再掲です。
インドネシアの地方紙に掲載されてた読者からの投稿です。
Suara Merdekaは中ジャワのスマランで刊行されている新聞。Webも結構充実しており、この記事はまだ読むことが出来ます。なお下記Url(suaramerdekaドメイン)は記事掲載時のもの。現在はリンク切れです。
http://m.suaramerdeka.com/index.php/read/cetak/2008/08/16/26670
※下記「再掲載」内のurlは、クリックしてもNot Foundとなります。
▼▼▼ 再掲載 ▼▼▼
今日(8月17日)はインドネシア独立記念日。当時を振り返る記事や投書が紙面を賑わす時期です。
16日付けインドネシア紙Suara Merdekaの投書欄に、太平洋戦争中の日本軍政についての記事がありましたので、訳出のうえご紹介したいと思います。
・Untung Jepang Datang(2008年8月16日付けの記事)
http://www.suaramerdeka.com/smcetak/index.php?fuseaction=beritacetak.detailberitacetak&id_beritacetak=26670
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論説(Wacana) – 意見(Gagasan)欄の投書から
日本の幸運な到来
インドネシア民族は350年間*1オランダの植民地支配を受けた。それは社会的、経済的、そして道徳的にポジティブな跡*2を何も残さなかった。その間、この愛すべき国の富は流出し、そして民衆の苦しみと貧困は変わらず続いていた。重要なことは、植民地支配が苦しみをもたらすことだ。これほど豊かな国がメチャクチャにされ、その結果、意味のある抵抗が出来なかった。
当時、マレーシア、インド、ビルマ、ベトナム、フィリピン、インドネシアを含む全アジア民族は、日本・中国・タイを除いて西欧民族に支配されていたと言える。(中国・タイは資本家*3の支配下にあったが)
当時の中国は蒋介石将軍の指揮する国民党政府のもとにあった。しかし実際には既にアメリカの資本家/帝国主義者たちの影響下にあった。それゆえ、アジア民族の中で完全に独立していたのは、驚異的な経済力により工業国へと発展していた日本だけであったと言える。
彼等は他国からの原材料・鉱物資源を必要としていた。しかし、西欧は日本へのそれら供給を行わず、禁輸としたのだ。蘭領オランダ政庁はアメリカの影響下にあったので、やはり日本への原油供給を行わなかった。
こういったこと全てがアジア-太平洋戦争を引き起こしたのだ。そして西欧はABCD包囲網(アメリカ、ブリテン、中国、オランダ)*4を形成した。必要となる鉱物資源を手に入れるため、日本はやむなく戦争をした。そして、一週間*5でインドネシア地域のオランダの防御を粉砕し打ち負かした。
[日本の]3.5年のインドネシア占領期間、ロームシャ[労務者]、食料・衣類の不足、性的侮辱など残虐行為とされる多くの事々があった。しかしその残虐行為の裏で、戦時を生き抜き困難に立ち向かう中、日本はこの民族に対し配慮し、倹約し、協力し、団結し、革新することを教えたのだ。
日本は敵からの攻撃に対し祖国を防衛するための軍事教育を行った。それはPETA(祖国防衛義勇軍)及びヘイホ[兵補]の設立となった。その他に、民衆だけでなく学徒生徒も含む全社会階層において、青年の部隊であるセイネンダン[青年団](Karang Taruna*6)、治安部隊のケイボーダン[警防団](今の自警団*7)があった。
もし日本がインドネシアへ来なければ、だれがオランダを追い払ったか? 残酷、残虐そして非人道的であったとしても、日本は完全な独立国家として到来した。もし日本が来なければ、この民族はいまだに外国の植民地支配下であったろう。日本の幸運な到来。その結果、インドネシア民族は日本自身に対してと同様オランダに勇気をもって抵抗したのだ。
※[ ]内は、訳者が追加。他方、( )内は筆者の原文に元からある注。
*1: インドネシア民族は350年間オランダの植民地支配を受けた。「350年間のオランダ支配」というのは、対オランダの独立戦争を経験したインドネシアの合言葉と言えます。ただし、オランダが現在のインドネシア全土に対する植民地支配を確立させたのは20世紀初頭でした。と言うわけで、「オランダはインドネシアを完全に支配するのに300年かかった」と主張する歴史家もいるようです。
*2: ポジティブな跡を何も残さなかった。オランダ植民地支配の苛烈さについては、その強制栽培制度などよく聞かされることですが、何にもポジティブな点が無かったのでしょうか? インドネシア民族意識・女性解放の先駆者と言われるカルティニが受けた教育はオランダ式だったはず。そして、スカルノやハッタをはじめ独立運動の志士たちもオランダの教育を受けたのです。もちろん、彼等は「自由、平等、社会正義」といった西欧民主主義の価値観を得て、オランダの植民地支配に立ち向かうのですけどね。
*3: 資本家。原文「kapitalis」。筆者がどういったイメージで「資本家」という言葉を使っているのかもうひとつわからない。
*4: ABCD包囲網。原文「poros ABC」。直訳すると「ABC枢軸」。D(Dutch、オランダ)が抜けてますが、( )内の国名に含まれていますので、訳では「ABCD」としました。
*5: 一週間でインドネシア地域のオランダ防御を粉砕し打ち負かした。蘭領東インド(現インドネシア)地域への日本侵攻は1945年1月11日に開始されており、オランダ軍の降伏は約2ヵ月後の3月9日でした。筆者のいう「一週間」とはジャワ島への日本軍上陸(3月1日)からオランダ軍降伏までの約一週間を指しているものと思います。
*6: Karang Taruna。インドネシア版Wikipediaによれば、高等学校中退者向けの教育機関とあります。適切な日本語訳があるどうか不明。
参考:Karang Tarunaの記事-インドネシア版Wikipedia
http://id.wikipedia.org/wiki/Karang_Taruna
*7: 自警団。原文「hansip」。Pertahanan Sipilの短縮形。
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インドネシアでの日本占領下の影響については、その功罪両面がインドネシアの学校教育で教えられています。原則として当時の日本は「帝国主義国家」であり、その軍政は「残虐、非道」であるというのが基本的な主張。しかし、インドネシア独立へ向けて様々な利点もあったことを指摘しています。
次の教科書(日本占領期についての章の和訳)も是非ご覧ください。
・インドネシア高等学校用歴史教科書「日本軍占領時代」(高校3年生向)
https://indo-ka.sakura.ne.jp/buku_pelajaran/
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