インドネシア独立宣言文を清書したタイプライター


1945年8月17日、独立宣言文の清書に使われたタイプライター。後ろの胸像は宣言文をタイプしたSayuti Melik。
撮影:2000年11月11日。独立宣言文起草博物館(Museum Perumusan Naskah Proklamasi)の展示を撮影したもの。

独立宣言文起草博物館

独立宣言文起草博物館(Museum Perumusan Naskah Proklamasi)
https://indo-ka.sakura.ne.jp/museum/mpnp/
インドネシア政府・関係機関によるWebページを探していますが、リンク切れ等により見つけていません。継続して探します。

さて、この博物館の存在を知ったのは次の新聞記事の情報によるものでした。

The legacy of Maeda’s residence
http://www.thejakartapost.com/news/2000/10/07/the-legacy-maeda039s-residence.html (リンク切れ)
2000年10月7日付けインドネシア英字紙The Jakarta Postの記事
この記事の日本語訳ページを作成しています。

そして、この年の11月にジャカルタへ行く機会があり、同博物館を訪問。上の写真を撮影しています。

タイプライターの由来

その後このタイプライターが1945年当時 在バタヴィアのドイツ海軍事務所から借用したものであることを知り、どんなタイプライターだったのか、その由来を調べたいと思っていました。と言っても、手元の唯一の有力な手掛かりはSayti Melik胸像と一緒に写っているタイプライターの写真のみ。しかもコンパクト・カメラで遠距離から撮影したもので、キートップの文字は読めないし、機械細部の状態も不明瞭。一番確実な方法は同博物館を再訪してこのタイプライターをチェックすることなんでしょうが、最近の同博物館内写真をWebで見ると展示内容が変わっているみたいで現在展示されているか分からない。それにジャカルタは遠いです。体力的・金銭的に今は無理。そんな状態で時間だけがすぎていく。

タイプライターについての記事
Peperangan Hanya Membawa Kesia-siaan
http://www.pikiran-rakyat.com/cetak/2006/032006/06/teropong/wawancara.htm (リンク切れ)
インドネシア紙Pikiran Rakyatの記事。Urlから判断するとおそらく2006年掲載。
前田少将の三島秘書官がドイツ海軍事務所へ出向き借り受けたとある。

AIに聞いてみた

タイプライターの写真をアップロードしてChatGPTに聞いてみました。撮影場所インドネシア独立宣言文のタイプに使われた等々の背景を付け加えて、「キー配列はドイツ語なのか英語なのか?」「メーカーや型番」は分かるかと。なお、私のWebページに貼り付けてある上の写真では解像度が低いため、ネガから取り込める最大解像度でアップロード用のイメージファイルを用意。

ChatGPTの回答は次の通り(きわめて長文だった為、概要・要約です。)

1.キーの配列

ドイツ語ではなく英語配列の可能性が高い。

根拠は;

(1) ドイツ語キーだと英語キーに対して「Y」と「Z」が入れ替わっているが、そうなっておらず英語キーである。(注:私が写真を見てもキートップの文字はよくわからない。ChatGPTは判別できるみたい)

(2) ウムラウトとエスツェットの専用キーが見当たらない。(注:これも私には分からない)

2.メーカーと型番

候補としていくつかあげてきましたが、最有力は下記

メーカー:Seidel & Naumann
モデル:Erika 8 / Erika M / Erika 10 等。軍・官庁向けの製品。ドイツ海軍での採用実績あり。

Webで上記モデルの写真をチェックしたところ、たしかに私の撮影した写真のタイプライターとよく似ています。「Erika」というモデル名が私の写真で確認できれば確実なんでしょうが、写ってない。

在バタヴィア ドイツ海軍事務所

ついでにこのタイプライターの貸出元(在バタヴィア ドイツ海軍事務所)についてもGoogle AI検索で調べてみました。

1945年当時の事務所責任者はヘルマン・カンデラー(Hermann Kandeler)少佐。ただし事務所の住所は分からず。また1945年5月7日にドイツは連合国に対し降伏しており、その後は日本支配下に存在するドイツ軍関係資産は日本軍によって接収され、軍属は原則として捕虜となっていたはず。しかし1945年8月17日のタイプライター借用の際、具体的にどんな状態だったのかは分からず。ドイツ海軍事務所は完全に在ジャカルタ日本海軍武官府の管理下にあったのか? それともヘルマン・カンデラー少佐は積極的にタイプライター提供に関与していたのか? わからないですね。ただredditの書き込み(下記)に、カンデラー少佐は戦後の1956年ヨーロッパ歴訪中のスカルノ大統領と西ベルリンで会っているという情報があり、ひょっとしたら独立宣言文のタイプについて何らかの関与があったんじゃないかと思いたくなります。(全くの推測ですが。。。)

Corvette Captain Dr.jur. Hermann Kandeler, a German naval captain who lent his typewriter for the proclamation
https://www.reddit.com/r/indonesia/comments/1mu6ldu/korvettenkapit%C3%A4n_drjur_hermann_kandeler_kapten/

以上、今回判明したと言うか全て推定事項ですが(一次資料がほとんど無い)、少しは私の知りたかったことに近づいたかな。継続調査とします。あと、こういったインドネシア独立にかかわる外国(日本、ドイツ etc.)からの関与は今後インドネシア側の歴史記述から消される可能性があり、そういった点も注視していきたいです。

関連記事(本ブログ内)
続2:記事「日本軍政は「植民地支配」 歴史書改訂、より否定的に―インドネシア」
https://indo-ka.sakura.ne.jp/samsama/2026-02-06_1/
現大統領は「インドネシアの独立は外国勢力からの賜物ではなく、長年にわたる不正と国民の闘争の結果」という信念の元、インドネシアの歴史記述見直しを推進しているらしいので。

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