私の好きなインドネシア > スマランとその周辺 > 青年の塔
TUGU MUDA(青年の塔)について『TUGU MUDA(青年の塔)は、1945年10月14日~18日スマランで発生したインドネシアの若者たちと日本軍との戦い「5日間戦争(Pertempuran Lima Hari)」で犠牲となった青年たちを追悼するため、1952年に建設されました。このモニュメントは蝋燭の形をしており、それは1945年8月17日に宣言されたインドネシアの独立を守るために苦闘したスマランの人々の燃え盛る精神を象徴するものです。このモニュメントの礎には、5日間の戦いと植民地時代のインドネシア民衆の生活と闘争を描いたレリーフが刻まれています。毎年10月14日には、この地で記念式典が行われています。』("Guide to Central Java" The Provincial Government Tourist Office of Central Java 刊より抄訳) インドネシア側の公式史については、次のページを参照ください。 スマラン事件(Pertempuran Lima Hari) 2008/06/02更新 5日間戦争(Pertempuran Lima Hari) について『中部ジャワ州都スマラン市では毎年十月、日本軍との「五日間戦争」の記念行事を行う。日本敗戦後の四五年十月、インドネシア人来襲を恐れた同市駐留の日本軍部隊が同市で決起、市民数百~数千人を虐殺した「戦争」である。』"-特派員の取材メモから-" 「JJC会報誌『ジャカルタ』創立20周年記念号」ジャカルタ・ジャパン・クラブ刊(1991年) から引用 この衝突事件は、日本側では「スマラン事件」と呼ばれている。日本側の犠牲者を追悼する「鎮魂の碑」もスマラン市内に建立されている。 5日間戦争(Pertempuran Lima Hari)~スマラン事件については、次の書籍に当事者提供情報による詳しい記述あり。 「日系インドネシア人」(副題 元日本兵ハッサン・タナカの独立戦争) 栃窪宏男 著 サイマル出版会 塔の背後に建つ白いビルは「Lawang Sewu(ジャワ語で千の扉)」(1995年5月撮影) |
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