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補足情報2
インドネシア連邦共和国憲法、暫定憲法、1945憲法回帰と1999年以降の改正
- インドネシア連邦共和国憲法(Konstitusi Republik Indonesia Serikat)
1949年の独立戦争終結後、インドネシアは今の共和国とは異なるRepublik Indonesia
Serikat(和訳:インドネシア連邦共和国)という国家形態をとっていました。この1949年から1950年までの間、施行されていたのが、「インドネシア共和国連合憲法(Konstitusi
Republik Indonesia Serikat)。197条の条文から成っています。
- 暫定憲法(UUD Sementara)
1950年4月15日、インドネシアは再び統一共和国の体制に復帰します。それと同時に公布されたのが、暫定憲法(UUD Sementara)。146条の条文からなり、政府は正副大統領ではなく、首相が指導する形をとっていました。
また、この憲法のもと1955年に普通選挙が初めて実施されました。
しかし、選挙の結果召集された憲法評議会は新憲法の作成に失敗したと、スカルノ及び軍が判断。1959年、軍の支持を受けたスカルノは1945憲法への復帰を宣言します。
- 神聖視された1945憲法
1966年にスカルノから権力を奪取したスハルト体制下では、1945憲法は不変・不可侵の憲法とみなされるようになりました。
- 3月11日命令書(Supersemar:スーパースマール)2008年05月25日新着
スカルノからスハルトへの権限委譲を指示した大統領命令書。
- 1999年以降の改正
1998年5月のスハルト退陣。翌1999年から2002年まで毎年憲法の改正が行われました。
【参考】
The Jakarta Post "Indonesia's constitutional history minefield of confusion" (2002/08/01付け記事)
国会図書館:諸外国の憲法事情―3―:「インドネシア(pdf)」<<リンク切れです。
インドネシア憲政史(2002年までの改正内容解説を含む)を要領よく纏めています。PDFファイル。興味のある方は是非一読をお薦めします。(リンク切れていることに気がつきました。良い資料なのに。国会図書館のWebでリンク先を見つけたら、張りなおしておきます。なお、旧リンクも参考までに張ったままにしておきます。2007年7月15日)
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