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1945年8月17日、ジャカルタのスカルノ邸でインドネシアの独立が宣言されました。「独立宣言文」を含む、その際のスカルノ演説を掲載します。
諸君!
我々の歴史上偉大且つ重要な出来事の目撃者となってもらうべく、諸君らがここに集まるよう、私はお願いした。
我ら祖国の独立闘争のため、我らインドネシア民族は数十年、それどころか既に数百年を耐えてきた。
独立達成のための我々の運動の様相は、ある時はその希望を高揚させ、またある時は消沈させた。しかし、我々の魂は常に理想へ向けられていた。
日本時代(*1)においても、独立達成の為の我々の努力は絶えることがなかった。日本時代において、我々は彼らに依存していただけのように見えたかもしれない。しかし、実際には、我ら自身の力を常に蓄積させていたのであり、我ら自身の強さを常に信じていた。
そして、今やまさに我ら民族と祖国を我ら自身の手におさめる時が到来した。自らの手の内に運命を掴み取る勇気のある民族だけが、しっかりと立ち上がることができるだろう。
そして、昨夜我々はインドネシア全土から集まった人民の指導者達で会議を行った。その会議では我々の独立を宣言する時が今や到来したと、全員が同意した。
諸君! これにより、我らの独立を確固たる信念を持って表明する:
諸君! これで我々は今独立した。
我々の祖国・民族を縛り付ける組織は存在しない。我々は今から我らの国家!独立国家をつくり上げる。
インドネシア共和国、未来永劫の独立、インシャ・アラー、神がこの独立を我々に恵んでくだされたのだ。
*1:訳注。日本軍による占領時代(1942~1945)
Saudara-saudara sekalian!
Saya telah minta saudara-saudara hadir disini untuk menyaksikan peristiwa maha-pentung dalam sejarah kita.
Berpuluh-puluh tahan kita Bangsa Indonesia telah berjoang untuk kemerdekaan tanah air kita, bahkan telah beratus-ratus tahun!
Gelombangnya aksi kita untuk mencapai kemerdekaan kita itu asa naiknya dan ada turunnya, tetapi jiwa kita tetap menuju kearah cita-cita.
Juga dalam jaman Jepang, usaha kita untuk mencapai kemerdekaan tidak berhenti-berhenti. Di dalam jaman Jepang ini, tampaknya saja kita menyandarkan diri kepada mereka. Tetapi pada hakekatnya, tetap kita menyusun tenaga kita sendiri, tetap kita percaya kepada kekuatan kita sendiri.
Sekarang tibalah saatnya kita benar-benar mengambil nasib-bangsa dan nasib tanah-air di dalam tangan kita sendiri, Hanya bangsa yang berani mengambil nasib dalam tangan sendiri, akan dapat berdiri dengan kuatnya.
Maka kami, tadi malam mengadakan musyawarah dengan pemuka-pemuka rakyat Indonesia, dari seluruh Indonesia. Permusyawaratan itu seia-sekata berpendapat, bahwa sekaranglah dating saatnya untuk menyatkan kemerdekaan kita.
Saudara-saudara! dengan ini kami menyatakan kebulatan tekad Dengarkanlah Proklamasi kami:
Proklamasi
Kami bangsa Indonesia dengan ini menyatakan
Kemerdekaan Indonesia
Hal-hal mengenai pemindahan kekuasaan
dan lain-lain diselenggarakan dengan cara
seksama dan dalam tempo yang sesingkat-singatnya.
Jakarta, 17 Agustus 1945(*2)
Atas nama Bangsa Indonesia
SOEKARNO-HATTA
Demikianlah saudara-saudara!
Kita sekarang telah merdeka!
Tidak ada satu ikatan lagi yang mengikat tanah-air kita dan bangsa kita
Mulai saat ini kita menyusun Negara Kita! Negara Merdeka.
Negara Republik Indonesia,-Merdeka kekal dan abadi, Insya Allah, tuhan
memberkati kemerdekaan kita itu.
原文の出展
・書名:Susunan Dalam Satu Naskah UUD 1945
・著者:Drs.Marsono
・発行:CV.Eko Jaya, Jakarta 13410
[注]*2:日付のオリジナルは1945年ではなく皇紀表現「2605年」となっていました。日本の占領下では、皇紀の使用が義務付けられていました。(参考:オランダ領東インドの日本軍占領とインドネシアの独立) 現在のインドネシアでは、このあたりの年号記述は全て西暦に改められています。なお、厳密に言えば、日本の"占領"は日本が降伏した8月15日で終了したとも言えるでしょうが、実態としては連合国軍がインドネシアへ到達し、日本からその支配を受け継ぐまで、日本が実質的に占領し、治安を維持することを連合国側に求められていました。(「皇紀2605年の表記」もご覧ください。)
[補足1]インドネシア中学校社会科教科書に、日本の無条件降伏(1945年8月15日)から上記の独立宣言(1945年8月17日)までのインドネシア独立指導者たちの動きが記述されています。→インドネシア中学校社会科教科書「独立準備の過程」
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2007年08月04日更新
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